モッタイナイキッチン

伝統と革新の両輪で  浅野武彦さん

伝統と革新の両輪で 
浅野武彦さん

イチゴ生産は「苗半作」

「イチゴの苗は、親株に近い方から太郎、二郎、三郎、四郎って呼ぶんです」。 その妙に親しみのわく呼び方に、つい吹き出してしまいます。 今回は亘理町でイチゴを生産する、浅野武彦さんを訪ねました。

イチゴは苗を購入して親苗とし、栽培用の子苗を増殖させ、大きく育てて栽培ハウスに定植します。 増殖の際は先端に子株をつけたランナー(つる)を伸ばし、その子株が孫株をつけたランナーを伸ばし、その孫株がひ孫株をつけたランナーを……と株を連ねていくわけですが、このとき最も親に近い子株から順番に冒頭の通り“命名”し、成長タイミングの異なる苗を区別します。 定植に使用する苗は主に生育にバラツキのない二郎と三郎を使うそう。 浅野さんは次のように話してくれました。 「イチゴはクリスマスケーキで需要の高まる12月に照準を合わせて出荷する農家さんが多いけれど、うちは年末年始に向けた贈答用の大玉の出荷がメイン。 それにあわせて生育調整を行っているけど、これがなかなか難しいんです」。

イチゴは“苗半作(なえはんさく)”といい、夏に苗を健全に作れば収穫もうまくいくと言われています。 しかし今シーズン、浅野さんの苗作りはやや不調気味だった様子。 「去年は夏が特に暑かったでしょう。 イチゴの苗ポットって小さいから、すぐ培地が乾いちゃうんだけど、だからといって水をやりすぎると、今度は根がしっかり育たない。 見極めがなかなか難しいんです。 気温が高い日は『苗が萎れているよ……』と“悪魔の声”が聞こえてくるもんだから(笑)ついつい手をかけすぎちゃった」。 ハウス栽培とはいえ、やはり気候の変調は収量に大きく影響してきます。

7月上旬から約50日苗を育て、9月中旬頃に定植。収穫はその後12月上旬から6月中旬まで続きます。最盛期は3月から4月にかけて。 取材に訪れた3月末は、そんなピークの終盤に差し掛かる時期でした。

工夫をしなければ「モッタイナイ」

2800平米という巨大なハウスへ案内してもらうと、そこでは2万株以上ものイチゴがあちこちで真っ赤な実をつけていました。 「うちがメインで作っているのは宮城県のオリジナル品種『もういっこ』。あとこっちの畝(うね)は、来年市場へ正式デビューする『にこにこベリー』。『とちおとめ』と『もういっこ』をかけあわせてできた、宮城県の早生の新品種です」。 『もういっこ』は大玉で結実の波が少なく、安定した収量が見込める晩生(おくて)品種。 生産者によっては、これに早生(わせ)品種を組み合わせて収穫時期を長く設けるところもあるようですが、浅野さんは管理を一元化するため、あえて今後はメインで栽培するものを晩生品種に絞っていくそうです。

高い位置に株を植える「高設栽培」は、イチゴ狩りなどでもよく見かける形態。 大雨が降っても株が水に浸からず、病気になりにくい栽培法です。またうどんこ病はランプでUV-B波(紫外線)を照射して抑制し、葉を食害するハダニは、ミヤコカブリダニなどの益虫を使って対策。 さらに各畝に下がっている短冊状の粘着テープで、イチゴの実を食べるアザミウマの発生状況をチェックしています。 「これでどこに大量発生しているかがすぐわかる。なにも全体に薬散する必要はなくて、発生しているところにピンポイントで薬をまけばいいからね」。 こうしたアプローチを組み合わせることで、薬散の回数を極力少なくすることに成功しています。

昔からの技術とハイテクと

亘理・山元の二町は現在、東北一の大産地。 そのスタートは昭和初期(6年頃)にさかのぼります。 不況時代に養蚕の代替作物として、仙台市内のいちご園(淀橋)より苗を導入して露地で栽培を開始。 太平洋戦争中は一時栽培が中断されましたが、昭和27~28年には200ha近い栽培面積へと進展しました。 また、この辺りは宮城県の中でも特に日照時間が長く、海が近くて温暖な気候。 さらに阿武隈山地の東側で雪が少ないという気候条件がイチゴづくりにマッチしていたためです。 現在は露地栽培から、より収量を見込めるハウス栽培へとシフト。近年はさらにハイテク化し、農作業がかなりラクになったと浅野さんは話します。 「散水や温度・湿度の調節は自動でコントロールされているし、場合によってはスマホでの遠隔操作もできる。外出先でもハウスの状況はスマホで確認できますしね」。

実はこの“最新鋭化”の背景には、過日の津波被害がありました。 従来のハウスがすべて流失してしまった、という危機的状況に際して町がハウスを新築。 そのハウス群を「イチゴ団地」として生産者へ無償で貸与するに至ったのです。 しかし「失ったものは多いけれど、だからといって悪いことばかりじゃない。 新しいことに挑戦する機会を得られたんですから」と浅野さんは笑顔を見せます。喪失ではなくリセット―そう捉えることで前を向いてきた生産者たち。 その努力を映すように、ハウスでは大粒の赤い実が揺れていました。